ー 東日本大震災、その後 ー

2011.3.11金曜日 PM2:46 不動産に関わって来た人間として、見ずには、また書かずにはいられない、あの日の爪痕。18切符を活用し、JR普通電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、東北へ向かいました。まずは仙台へ、ここを拠点とします。

二日目。ちょっとした観光や食事を交えながら、更に北へ。

中尊寺。金色堂は撮影禁止。

平泉ですね。

遣水、昔のインフラですかね。

杭のような・・

賢治の詩碑。北上川を見た時にはどこか感慨深いものがありました。

 

平泉駅近くの泉そば、黒くておいしゅうございました!

再び鈍行へ乗り込み、太平洋方面へ。中々遅々として進まず。。

海までは出ず、今日は遠野で宿泊します。

美味しい夕食をいただき、お風呂の後は就寝。すっきり寝れず、、夜中にふと目を覚ますと、外は幻想的な景色が。

異質な、といっては失礼ですが、どこか雰囲気の違う遠野の夜。

このあとも静かに北の国の夜は更けていきます。

 

三日目。朝から白い雪です。市内にはこの地独自の様々な民話にまつわる施設があり、あまり時間はない中でしたが、遠野に来たからには行かない訳にはいきません。

「オシラサマ」など、遠野に伝わる民話が数ヶ所あるモニターで自由に見れます。そしてそれらはやはりかなり独特というか、地方ならではというか、普段は陽の当たらない、そして触れてはいけない何かの一端を感じる、是非ともこれからも残ってほしい会館でした。もし次回来ることがあれば、たっぷり時間を確保して、来ます。

 

昼前の電車に乗り込み、ようやく海まで来ました。釜石です。

一見穏やかな海ですが、どこか怖さも感じます。静かで何も語らない、しかし何かを我々に発しているような、目に見えない何かを感じます。

釜石は2019ラグビーW杯の会場となる事が決まっており、それも手伝ってか駅舎・ショッピングモールなど、復興の気配は感じますが、一方では手つかずの建物の数々が。

駅や市役所の方々に話を聞きます。個人的なお話はここでは書きませんが、本当に大変だった事は、言葉の端々から感じます。

昼食後はいわゆる三鉄に乗り、海岸沿いを走ります。

ここでも穏やかな海が。道中にはいくつもの爪痕が残ります。

 

再び三鉄からJRへ・・・乗るはずが大船渡線は復旧しておらず、BRT(バス高速輸送システム)で気仙沼へ向かいます。

そして途中、大船渡駅付近です。

かもめの玉子やフカヒレで有名な大船渡。ここは街の中心のはずですが、とても復興とは程遠い姿に愕然とします。東北は復興したと発言していたあの政治家は誰だったろう。

そして、陸前高田。

何にもありません。

松原も町も、何もかも。

山を削り、土地をかさ上げし、もう一度町を造ろうとしていました。

その中には、奇跡と言われる一本松が。

 

この地に限らず、福島も含め、数え切れないほどの悲しみや絶望や功罪が埋まり、横たわり、そしてそれらを前にしても立ち尽くすことしか出来ない人間は、やはりちっぽけで、自然に逆らう・抗う事は勿論、人間が人間の手に負えない物を作る事は、やはり罪なのだと、この海は教えてくれている気がしました。

今日も海は穏やかに、静かにそこにあると思います。この災害での悲しみが消える事はないと思いますが、せめて同じような人的被害・災害が起こらぬ様、遠い地から祈っております。

 

今回、長い道中で感じた事は「日本人としての心の復興」的な事だと思ったのですが、時代の動きは早く、この震災だけでなく戦争・オウム・9.11など、ビルやマンションの下に埋もれて、忘れてしまわぬよう、次代に伝えて行きたいと思います。